(103) 萩の人々を救った 山口・大日比のナツミカン原樹 山口県長門市に大日比と言うところがあり、ここはナツミカン(夏蜜柑)の発祥の地です。今から約250年前、海岸に流れ着いた柑橘類の種を植えたところ、今日の夏蜜柑が生る樹が育ちました。この柑橘類は幕末の萩の名物となったばかりか、維新後に萩の重要な産物となり、廃藩置県で禄を失った萩の人たちの窮状を救いました。そのナツミカン発祥の樹は「大日比ナツミカン原樹」とよばれ、今も大日比の民家の庭に立っています。 |
(103-1) 夏蜜柑が流れ着いた海岸 ナツミカン原樹がある大日比は日本海に突き出た青海島に囲まれた仙崎湾に面したのどかな漁村です。今から約250年前の安政年間(1772~1780年)に、この海岸に後の夏蜜柑と言われるものの元祖となる柑橘類が流れ着き、この地の西本チョウさんに拾われました。 |
(103-2) 民家の庭に立つナツミカン原樹 西本さんが海岸に流れ着いた柑橘類の種を庭先に植えたところ、今日の夏蜜柑がなる果樹が育ちました。西本家は海辺から数百メートル入った所にあり、その庭先にナツミカン原樹が今も立っています(下写真、支柱がある樹)。夏蜜柑は大粒の果実を結び食用や飾りなどとしても価値が高く、次第に普及していきました。 |
江戸時代、萩藩では士族にも夏蜜柑の栽培を奨励し、萩の武家屋敷でも庭に夏蜜柑を植えている所が多く見かけられ、吉田松陰も庭に植えていたと言われています。萩の名物として「萩橙(はぎだいだい)」とも呼ばれるようになり、萩藩主も食していたと言われます。 夏蜜柑は晩秋から黄色く色ずきますが初めは酸味が強く食用に適しません。しかし年を越し夏まで置けば酸味が少なくなり美味しく食べられます。それが夏蜜柑の名の由来でもありますが、夏に食べられる柑橘類として貴重な存在となりました。 |
(103-3) 高齢の夏蜜柑原樹 ナツミカン原樹は昭和2年(1927年)に国の史跡及び天然記念物に指定されており、左写真下のように立派な石柱や掲示版が建てられ、この原樹の社会的な価値の大きさが伺えます。 今、年を取り弱っているナツミカン原樹ですが、その過去の功績は決して消えるものではありません。 現在では夏蜜柑と言う名前が定着していますが、この名前にも秘話があります。当初は、貴重な果樹を代々受け継いでいくとの気概を込めて「夏代々(なつだいだい)」と名付けられ、大消費地大阪などに出荷されましたが、大阪では中風のことを"ヨヨ"と言い、代々がヨヨとも読めることから、夏代々を食べると中風になるとの風評が広がり、名前を「夏蜜柑」変えたとの裏話も残っています。 |
(103-4) 山口県のこだわり ナツミカン(夏蜜柑)の花は真っ白な五弁の清楚な花(下写真左)ですが、山口県はこの夏蜜柑の花を"県の花"に指定しています。夏蜜柑に対する県民の思い入れの強さが表れています。 そして山口県人の夏蜜柑へのこだわりはそれだけに留まらず、道路のガードレールの色を夏蜜柑の橙色(下写真中)にしてしまいました。 |
事情を知らない県外の人が山口県にきて、橙色のガードレールにとまどいます。ただ橙色は”注意”を表す黄色に近いので、何か特に注意を要するのかと慎重運転となり、事故低減に繫がっているのかも知れません。 ナツミカン(夏蜜柑)は山口県の前身である萩藩と、明治維新を遂行した萩の人々の象徴だったのでしょう。 |
(103-5) 次世代の夏蜜柑原樹 夏蜜柑原樹の隣の土地には次世代の夏蜜柑原樹(左写真)が育っています。以下掲示板の「長門ナツミカン物語」です |
樹木写真の属性 | |
樹 種 | ナツミカン(夏蜜柑) [ミカン科ミカン属] (「樹木の見所」のページにリンクしています) |
樹木の所在地 | 山口県長門市仙崎大日比2165 |
撮影年月 | 2016年8月 |
投稿者 | 木村 樹太郎 |
投稿者住所 | 島根県邑智郡川本町 |
その他 |