(121) 校庭のあの樹に会いに行く (その6) 浜田高等学校の樹木 五十数年ぶりに母校(島根県立浜田高等学校)の樹木に会いに行きました。母校といっても私たちが卒業したあとに校舎や体育館など全面的に改築され、様変わりしていると聞いていましたから、何となく気後れしていたのですが、記憶に残る何本かの樹木に会え、すぐに打ち解けることが出来ました。 |
(121-1) 様変わりした浜田高等学校 私たちが高等学校を卒業した昭和37年(1962年)当時の浜田高等学校の姿は下写真上側(北西側から写した写真)のようでした。主な校舎は歩兵第二十一連隊の兵舎を流用したもので、木造2階建て4棟の建物がL字型に配置されていました。建物の周囲には連隊時代からのものと思われる大小の多数の樹木もありました。 |
卒業後に急速に建物が建て替えられ、まず昭和39年(1964年)に体育館兼講堂の竣工、昭和45年(1970年)には旧校舎2棟を解体し鉄筋コンクリート3階建て3棟の新校舎竣工、昭和52年(1977年)ころ残る旧校舎2棟も解体、昭和55年(1980年)にはプールがあった場所に創立100周年記念館竣工などにより、浜田高等学校はほぼ現在の姿に変わりました。上写真下側は平成8年(1996年)当時の外観(南東側から写した写真)ですが、昭和37年(1962年)当時の面影は全くありません。 私たちが卒業した時期にあった樹木はどうなったのでしょうか。一部はそのまま残されているでしょうが、あるものは植え替えられ、またあるものは伐採撤去されたでしょう。 |
(121-2) シンボルツリー:ソテツ(蘇鉄) 様変わりしている高等学校ですが、正門を入った正面に記憶に残るソテツ(蘇鉄)がありました。学生の頃はその樹がなんであるかは知りませんでしたが、そのころからかなりの大きさで存在感があり、その独特な樹形から記憶に残っていました。後日、卒業アルバムを調べてみたらこの蘇鉄の前で撮った卒業写真(下写真内の小写真)がありました。なお小写真に映っている蘇鉄の背後に松の木が写っていますが、この松の木は現在見られません。松くい虫被害で枯れてしまったのでしょう。 |
学生時代の見覚えのある樹に出会えたことで、新しい学校に対する親近感が一気に高まりました。 蘇鉄は非常に丈夫で寿命も長い樹木であり、樹齢500年を超えるものも希ではありません。この蘇鉄は高等学校のシンボル的樹木として、今後、何百年にもわたり浜田高等学校とともに成長し、訪れる卒業生を暖かく迎えてくれることでしょう。 |
(121-3) 正門わきのケヤキ大木 |
(121-4)青春の並木道 「青春の並木道」と名付けられた通学路ができており、通路に沿って多くの樹木が並木状に植えられていました(下写真)。普通、並木道には単一の樹種で大きさもそろえた樹木が植栽されるものですが、ここの並木道は植えられている樹種はヒマラヤスギ、ケヤキ、サクラ、ツツジと多様で、また大きさもかなりの差がありました。 これはおそらく校内のあちらこちらに植えられていたいた樹木をここに移植して、並木道が作られたのではないかと思われます。 |
並木の中には写真右手前に写っているような、樹齢100年は超していると思われるようなケヤキの大木もありました。学生だった時、自転車置き場の近くに大きな木があったことを思い出しましたが、その大きな木はこのケヤキ大木だったのかもしれません。樹木を通じて学生時代のことに思いをはせていると、遠い学生時代にタイムスリップし、向こうから歩いてくる学生さんがクラス友達であるような錯覚に陥りました。 |
(121-5) 新しい樹木 かつてプールがあった場所には創立百周年記念館ができ、その前に新しい庭が整備され、サルスベリ(百日紅)やマツ(松)などが植えられていました。 |
樹木写真の属性 | |
樹 種 | ソテツ(蘇鉄) [ソテツ科ソテツ属] ケヤキ(欅) [ニレ科ケヤキ属] (「樹木の見所」のページにリンクしています) |
樹木の所在地 | 島根県浜田市黒川町3749番地 |
撮影年月 | 2015年12月、2018年8月 |
投稿者 | (1) 田中 浩正 (2) 中村 靖 |
投稿者住所 | (1) 静岡県静岡市清水区三保 (2) 横浜市都筑区中川中央 |
その他 |