(77) 牛久城址のある城中町
得月院境内のかやの木

茨城県牛久市は江戸時代の昔、牛久藩と呼ばれていた地であるが、そこの由緒ある得月院に榧(かや)の大木が立っている。樹齢400年余になるその榧の木は、牛久藩の歴史を語り伝えるとともに、、牛久藩出身の画家により日本画のモチーフにもなった味わい深い榧の木である。

  

  (77-1) 得月院と榧の木
 
得月院の本堂脇に大きな榧の木が立っている。この榧の木は牛久城主由良国繁の母堂妙印尼が得月院を開基(1590年)したときに植樹されたと推定される。
牛久城には、大阪の陣で戦功のあった山口家(周防山口の守護大名大内家の流れ)が1629年に1万石の牛久藩主として入り、維新まで12代続く。

  

(77-2) 榧の巨樹

 幹周 5.0m、樹高 20m、樹齢 400年余りの堂々とした榧の巨樹である。榧の木は成長が遅く、幹周5mを超え、巨樹の域に達している榧の木は貴重である。

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 牛久市の市民の木にも選定されている。茨城県としても屈指の榧巨樹であろう。
  

    

(77-3) 日本画のモチーフに

 近づいてみると榧の木の幹は樹齢400年余の歳月を感じさせる、重厚な趣がある。
 有名な日本画家 小川芋銭はこの榧の木をモチーフにした絵画「樹下石人談」を残している。

  

  

(77-4) 河童の石碑

 画家 小川芋銭は牛久藩の重臣の子であった。廃藩置県の時(1871年)に藩邸のあった江戸・赤坂からこの地に移住し、庵を結び河童の絵を得意にした。

 得月院には芋銭の墓があり、すぐ近くにある牛久沼の畔に彼の描いた河童の碑がある。石碑には「誰識古人画龍心」と書かれる。
  

  

   樹木写真の属性
 樹  種  カヤ [イチイ科カヤ属]

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 樹木の所在地  茨城県牛久市城中町258 得月院   
 撮影年月   2015年11月
 投稿者  田森 行男 
 投稿者住所  茨城県牛久市田宮
 その他