(86) 復元進み往時の威容を取り戻しつつある
名古屋城の樹木

関ヶ原の合戦勝利後、1610年に徳川家康によって築城された名古屋城は、長く尾張徳川家の居城として栄えてきました。1945年の空襲でそのほとんどが焼失しましたが、1959年に天守閣が再建され、そして今、2009年から10年計画で本丸御殿が復元されつつあり、往時の姿を取り戻しつつあります。
そのような名古屋城にある樹木もその変遷とともに多くが失われましたが、少なからざる樹木が苦難を乗り越え名古屋城の歴史を今日に伝えています。

        

(86-1) 林の中に見える天守閣

 名古屋城周辺の道路やお堀端には松や桜の古木が立ち並び、訪れる人を江戸時代にタイムスリップさせてくれます。 
 名古屋城正門を入ると目の前にこんもりと茂る林があり、樹木越しに見える天守閣が名古屋城の豊かな樹木への期待を高めてくれます。

  

(86-2) 名古屋城のカヤ巨木

 正門を入ったすぐ左わきのところに、「名古屋城のカヤ」と呼ばれるカヤ(榧)の巨木があります。 落雷や空襲による火災の影響でしょうか、主幹が失われ根元から複数の枝に分かれていますが、旺盛に枝葉を茂らせ、高さ16m、幹周8m、全国でも有数のカヤ巨木であり、国の天然記念物に指定されています。
 推定樹齢600年のこのカヤは名古屋城築城当時すでにかなりの大木であったと言われています。初代尾張藩主の徳川義直が大阪出陣の際、このカヤの実を食べ武運長久を願ったとの言い伝えが残っています。
 名古屋城築城当時からこの地にあり、1945年の空襲で樹冠のほとんどを失い、瀕死の状態にありながら見事に蘇ったこのカヤ巨木は、名古屋城の歴史を語る貴重な史跡樹木です。

  

  (86-3) クスノキ3大木
 
  加藤清正公石引の像の背後に、3本のクスノキ(楠)大木が並んでいます。
1610年の名古屋城築城に当たり、徳川家康は西国20大名に普請を命じました。天守の石垣普請は加藤清正に割り当てられ、巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗って音頭を取って巨石を運んだと伝えれています。その姿を表す像が城内の一角にあり、背後の3本のクスノキ大木が過ぎ去りし長い年月を物語っています。

  

(86-4) 多彩な花木

 二の丸庭園に見事なギョイコウ(御衣黄)があり、訪れた時にちょうど満開の花を咲かせていました。淡黄緑色の桜花が名古屋城の風格を一層高めているように見えます。
 桜のほかにも下記のように名古屋城には多くの花木が植栽されており、四季を通じてその彩を楽しむことができます。
(春)
マンサク、カンヒザクラ、シダレザクラ、ソメイヨシノ、ギョイコウ、ゴテンツバキ、ドウダンツツジ、ツツジ、フジ、ボタン、ハナミズキ、ヒトツバタゴ
(夏)
アジサイ、ムクゲ、サルスベリ
(秋)
ムクゲ、フヨウ、スイフヨウ、キンモクセイ、ウスギモクセイ、サザンカ
(冬)
サザンカ、ボケ、ロウバイ、ソシンロウバイ、ウメ

    

  (86-5) 二の丸広場の独立大木
 
二の丸広場にエノキ(榎)と思われる独立大木が立っています。樹齢は分かりませんが幹の太さが1m近くになり、一部が空洞化しているなど、かなりの古木であり、名古屋城と共に長くここに立っているのでしょう。
背後に見える天守閣の孤高の美と、独立大木の孤高の姿がよくマッチし、名古屋城一番の樹木景観を生み出しています。

  

   樹木写真の属性
 樹  種 カヤ(榧) [イチイ科カヤ属]
クスノキ(楠) [クスノキ科クスノキ属]
ギョイコウ(御衣黄) [バラ科サクラ属]
エノキ(榎) [ニレ科エノキ属]
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 樹木の所在地 愛知県名古屋市中区本丸1 名古屋城内 
 撮影年月  2015年4月
 投稿者 中村 裕司
木村 寿太郎
 投稿者住所 名古屋市瑞穂区弥富通
島根県邑智郡川本町
 その他