(109) 東京にもまだ松が残っていました
江戸川区・善養寺のマツ

江戸時代末期の浮世絵師:歌川広重によって描かれた「名所江戸百景」を見ると、至る所にマツ(松)が描かれてれており、当時松が最も代表的な樹木であったことが伺えます。そのような松も、明治維新以後の都市化による開発と、大正時代以降猛威を振るった松くい虫被害により、東京地域の松はすっかり少なくなってしまいました。
しかし、東京江戸川区の養善寺には、「影向の松(ようごうのまつ)」をはじめ多くの貴重なマツ(松)がまだ残っています。

    

 (109-1) 善養寺の樹木

 善養寺の山門を入ると、本堂の前に巨大な藤棚のような樹木がまず目に入り、次いで本堂右側に立つ松の大木が見えました。青空に高々とそびえる松大木が音に聞く「影向の松」であろうと思い近付いて見ると、なんとこれが大違いでした。

  

  (109-2) 影向の松
庭を覆いつくすように広がり、藤棚かと思っていたものの前に「影向の松」との掲示板が建てられているではありませんか。確かによくみるとその樹木の葉は松特有の針葉です。
 
説明掲示板によると推定樹齢600年、幹周4.5mあり、松としても中々の大木ですが、特筆すべきはその奇観ぶりです。地上2m位のところから大枝が四方に伸び、まるで笠を広げたように庭を覆いつくしています。枝の広がりは東西約31m、南北約28mもあります。
「影向(ようごう)」とは”神仏が一時姿を現すこと”と言う意味だそうですが、その奇観ぶりとスケールの大きさから神仏の来臨を想像させるほどの迫力があり、国指定天然記念物にもなっています。

 

 (109-3) 横綱山から見る影向の松

 江戸川区は名横綱:栃錦(後の春日野相撲協会理事長)の出身地であることもあり、善養寺は相撲界との縁が深く、境内に横綱山と名付けた小さい築山があります。その上から見ると影向の松の全容を見下ろすことができます。影向の松は庭全体に広がり、改めてそのスケールの大きさに驚かされます。

  

  (109-4) 横綱に推挙された影向の松
傘を広げたように広がる影向の松の下に入ると、一抱えもある様な大枝が眼前に迫り、その迫力は大変なものです。
 
姿形が非常によく似た「岡野松」松と呼ばれる松の大木が四国・香川県の真覚寺にあり、昭和56年ころ、影向の松は岡野松と日本一を争っていましたが、その争いを収めるべく相撲界の重鎮が乗り出し、立行司木村庄之助が両者の引き分けを宣し、春日野理事長が両者を東西の横綱に推挙し、一件落着とのエピソードも残っています。

  

 (109-5) 江戸時代を彷彿とさせる松大木

 養善寺には影向の松だけでなく、境内を取り囲むように松(クロマツ)の大木が立っています。亭々と青空に立つ松の姿は、多くの浮世絵に描かれた松の姿そのものです。日本の原風景を形作って来た松が、東京にもまだ残っていたという喜びと安堵を感じさせてくれる善養寺の松です。

  

   樹木写真の属性
 樹  種 クロマツ(黒松)[マツ科マツ属

(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地  東京都江戸川区東小岩2-24 善養寺  
 撮影年月   2017年6月
 投稿者   中村 靖   
 投稿者住所  神奈川県横浜市都筑区中川中央
 その他