(120) 少子化問題の救世主
雑司ヶ谷・鬼子母神の大イチョウ

東京・豊島区・雑司ヶ谷の法明寺の飛び地に鬼子母神堂があり、鬼子母神堂の境内にイチョウ巨木があります。このイチョウは巨木として第一級のものであるばかりでなく、古来「子授けイチョウ」と呼ばれ、少子化に苦しむ現代の私たちにも救いの手を差し伸べてくれています。

 

 (120-1) 雑司ヶ谷の鬼子母神

 秋になると法明寺鬼子母神境内はイチョウの黄葉に包まれ、鬼子母神堂の緑の屋根がイチョウの黄色に映えてきれいです。
 鬼子母神と言うのはお釈迦様時代のインドを起源とする仏様です。
 「昔、インドに訶梨帝母(かりていも)と呼ばれる女性がおり、鬼神般闍迦(はんしか)の妻となり、500人とも10000人とも言われる子供を産み育てていました。しかし訶梨帝母は性質が凶暴で人間の子供を奪い取っては食べてしまうので、人々から恐れ憎まれていました。 この事態を憂いたお釈迦様は、訶梨帝母の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させて改心させました。お釈迦様に正しい道を教えられた訶梨帝母はその後、安産・子安の仏様となり鬼子母神と呼ばれて人々に尊崇されるようになりました」
 高い乳幼児死亡率は深刻な少子化問題だったでしょう。 鬼子母神はこの少子化問題を克服し、子孫繁栄をもたらす救いの神なのでしょう。

  

 

 (120-2) 鬼子母神境内にそびえるイチョウ巨木

 鬼子母神境内には多数のイチョウの木がありますが、最大のものは「雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ」と呼ばれるイチョウ巨木です。上記写真の左端にそのイチョウが映っています。そして左写真はその全景です。このイチョウは幹周り8m、樹高30m、応永年間(1394~1428年)に僧日宥が植えたと伝えられていますから、樹齢は600年余りと推定されます。都内でも1,2を争うイチョウ巨木で、東京都の天然記念物にも指定されています。
 都内の多くのイチョウが震災や空襲の火災の影響を受け、傷跡を残しているものが多い中で、鬼子母神のイチョウはすらりと伸び左右のバランスも良い美形で、都内にこのような美しいイチョウ巨木が残っていることは奇跡的です。
 鬼子母神のイチョウは一辺が10mはあると思われる石と鉄でできた広い四角形の柵で囲われており、このイチョウが特別な存在であることが一目でわかります。

  

 (120-3) 子授けイチョウ
このイチョウは昔から「子授け銀杏」と呼ばれていましたが、江戸時代の書物「櫨楓」によると、婦人が子授けを願いこのイチョウを抱く光景が見られ、文政年間(1818~1829年)の頃からしめ縄がはられるようになったと言われています。
 
イチョウは地球上に現存する樹木の中では最も古い種であり、数億年前の恐竜時代に出現し、恐竜は絶滅してしまったのですがイチョウは現在に至るまで種を存続させ、イチョウの巨木からは不思議な生命力が伝わってきます。
「三年子なきは去る」との慣習もあった徳川時代においては、現代とは違う形で少子化問題に悩まされていたのでしょう。子授け銀杏のご利益にすがる気持ちは強かったのではないでしょうか。

  

  (120-4) 現代の少子化問題の救世主
鬼子母神のイチョウを訪ねた時、近くの幼稚園児がイチョウの黄葉を拾い集めて戯れていました。昔はもっと多くの子供たちが境内で遊び戯れていたことでしょう。しかし東京はまだ良い方です。地方に行くと子供が遊びまわる声を聞かなくなってから数十年、小学生の数も激減して閉校となった所がザラです。
今、私たちは新たな少子化問題に直面し、子授けイチョウのパワーを頂かなければならない時代です。
鬼子母神のイチョウはパワースポットとして注目されているようですが、子授けのパワーを最大限ゲットするためにはイチョウの木に触れることが不可欠でしょう。現在の様に厳重な柵に囲まれていてはイチョウの木に触れることはできません。
柵内に木道を作るなどして訪問者が柵内に入れるようにし、イチョウの巨木を抱くなり触るなりして、イチョウの子授けパワーを最大限ゲットできるようにしていただきたいと思います。

  

  樹木写真の属性
 樹  種 イチョウ(銀杏) [イチョウ科イチョウ属

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 樹木の所在地 東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
 撮影年月 2017年11月
 投稿者 中村 靖
 投稿者住所 横浜市都筑区中川中央
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