(134) 富士山、松、そして人 永遠の三保の松原 三保の松原は富士山を望む白砂青松の地として、日本人の心象風景を形作る地です。そのような場所で高校時代のクラス会が開催され、期待をもって参加したのですが、残念ながら気候に恵まれず、霊峰富士を見ることはできませんでした。しかし以前訪ねた時の良い写真がありましたので、これを取りまぜ三保の松原の魅力を紹介します。 |
(134-1) 富士山を望む三保の松原 古くから松は日本人にとって特別の存在でした。万葉集において大伴家持は「八千種(やちぐさ)の花は移ろう、常盤(ときわ)なる松の小枝を 我は結ばな」と詠んでいます。「花はどれも移ろいやすく信頼できない。いつも緑を保ち生命力あふれる常盤の松を私は信じ愛する」というような意味でしょうか。悠久の富士山をバックに立ち並ぶ常盤の松、三保の松原は古(いにしえ)の人々にとってこの上ない感動の地であったでしょう。 |
現代の私たちにとっても、三保の松原から見る富士山は最高です。日頃の行いが良く、かつ運が良ければ上写真のような光景を見ることができます。最近では1922年(大正11年)に天橋立と共に日本最初の名勝に指定されたのをはじめ、2013年(平成25年)には世界文化遺産「富士山・信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産の一つに登録され、その素晴らしさは世界的に認められる所となりました。 |
(134-2) 倒れても緑を絶やさぬ松 松原の中に入ってみると樹齢数百年と思われる大木から、樹高1mに満たない稚樹まで様々な松の木が林立しています。駿河湾から吹き付ける強い風や波のためでしょう、多くの松は山側に傾いています。中には左写真のようにほとんど横倒しになっている松もありますが、それでも緑の葉を茂らせ逞しい生命力を顕わしています。 |
(134-3) 屋根を貫く松の木 三保の松原がある三保半島の先端部に三保園ホテルがありますが、そのホテルの中庭には15本余りの松の大木が立っています。このホテルが建設されたとき、そこに存在していた松をそのまま庭木として取り込んだものでしょう。 |
驚かされるのは、上の写真の右端の松の木です。なんと!この松の木は屋根を貫いているではありませんか!!。このホテルが建設されたとき、そこにあった松の木を切らず、屋根に穴をあけて残したものでしょう。三保の松原では人々が松を大切にしていることの証です。 |
(134-4) 「神の道」の松並木 三保半島のほぼ真ん中あたりに御穂(みほ)神社があり、この神社と海岸近くの「羽衣の松」を結ぶ約500mの間に、一直線の見事な松並木の道(左写真上)があります。この道は羽衣の松を依り代(よりしろ)として降臨した神が、御穂神社に至るための道として「神の道」と呼ばれています。神の道の両側には様々な形をした松大木が並び、荘重な雰囲気を醸し出しています。 |
(134-5) 世代をつなぐ「羽衣の松」 「羽衣の松」は天女が舞い降り、着物をこの松の枝にかけて水浴びをしたとの伝説を語る、三保の松原を代表する松です。これまで何回か世帯交代が有ったようで、下写真に示す現存の羽衣の松は3代目の松です。1代目の羽衣の松は1707年(宝永4年)の富士山宝永大噴火の際に海に沈んだと伝えられ、その後、2代目が頑張っていましたが立ち枯れが進んだため、2010年(平成22年)に現代の3代目に世代交代しています。 |
常盤の松も個々の松の木の命には限りがあります。しかし松の木と人が連携して世代をつなぐことで、羽衣の松は永遠のものとなりました。富士山、松、そして人。三つのものが連携することで、三保の松原は永遠に人々を魅了し続けることでしょう。 |
樹木写真の属性 | |
樹 種 | クロマツ(黒松) [マツ科マツ属]] (「樹木の見所」のページにリンクしています) |
樹木の所在地 | 静岡県静岡市清水区三保 |
撮影年月 | 2017年1月、 2019年11月 |
投稿者 | (1)中村 靖 (2)田中 浩正 |
投稿者住所 | (1)横浜市都筑区中川中央 (2)静岡県静岡市清水区三保 |
その他 |