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(140) 地域の人々を災害から守った
丹沢山中の「ほうきスギ」

神奈川県北西部の西丹沢の地は、かつて江戸時代に有用木を保護する禁制の地であり、多数の大木が茂っていました。今も往時をしのぶ「ほうき杉」と呼ばれる杉巨木が残っており、地域住民を災害から守ったとして崇敬の的とされています。

  

  (140-1) 丹沢山中の大斜面に立つ「ほうき杉」
ほうき杉は西丹沢山地の大きな斜面に立っていました。下写真の左上に見える木がほうき杉です。ほうき杉のすぐ下に集落に通じる道があり、その下に峠を越えて山梨県に通じる県道が通り、さらにそのかなり下に河内川の清流が流れています。
背後の山の頂が雲に隠れている所からして、このあたりがかなりの山奥であることが分かります。
 
この地は江戸時代まで禁令により杉、檜、欅など有用な樹木はみだりに伐ることが禁じられ、そのため豊かに木々が茂り、宝木沢と呼ばれていたそうで、今でもその名が残っています。

 

 (140-2) 堂々たる美しい杉巨樹

 ほうき杉は斜面の高い所から、あたりを見回すように堂々とした姿で立っていました。 幹周12m、樹高45m、推定樹齢2000年、神奈川県下では第一の巨樹であり、全国的にも有数の杉巨樹として、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、平成9年(1990年)選定の新日本名木100選にも選ばれています。
 左写真にほうき杉の全景を示します。杉の根元の右下のところに、白い服を着た人が立っていますが見えるでしょうか?米粒のように小さく見える人と比べて、ほうき杉の巨大さがよくわかります。
 樹高50m近くある独立大木でありながら、落雷の被害を受けず、美しい円錐形の主幹を保ち、完全な姿で立っているのは奇跡的です。もし美しい巨樹コンテストを行えば、上位を争うこと間違いなしでしょう。
 この地域は江戸時代には有用木の伐採が禁じられた禁制地として、沢山の大木が茂っていましたが、禁令が解けた明治以降、木々は次々と切られ、現在、往時をしのぶ大木はこの「ほうき杉」だけになってしまいました。

  

 (140-3) 名前の由来

 「ほうき杉」と呼ばれる名前の由来については2説あり、一つは樹形が箒(ほうき)に似ているので「箒スギ」となったというものと、いま一つはこのあたりには豊かに木が茂り「宝木沢」と呼ばれていたことから「宝木スギ」となったというものです。
 私は「宝木スギ」説を支持します。案内板や地図などには「箒杉」と表記しているものが多いようですが残念なことです。 ほうき(箒)の形に似ているから「箒スギ」と呼ぶのでは、二千年余を生きてきた立派な杉の木に対し申し訳ない気がします。

  

   (140-4) 地域の人々を救った宝木杉
 ほうき杉の近くに建てられた説明掲示板に「・・・昭和47年にこの地方に甚大な被害をもたらした丹沢集中豪雨の際には、土砂崩れをくいとめ、箒沢の集落を崩壊から救った。・・・」と記されています。ほうき杉が集落を災害から守ったということは、単なる迷信ではなく、科学的根拠があることではないでしょうか。
 
どんな巨木でも大規模な山崩れを防ぐことはできないでしょう。しかし、樹齢2000年の巨木は、その木が立っているところが千年に一度級の大災害にも会わない安全な場所であることを示しています。先人がそのことを知り、この巨木の下に集落を作ったとすれば、地域の人々が巨木に守られたと言っても決して過言ではないでしょう。これぞ正に宝の杉の木「宝木杉」です。
宝木杉に限らず、巨樹巨木は単なる信仰の対象としてだけでなく、私たちにいろいろのことを教えてくれています。

   

   樹木写真の属性
 樹  種 スギ(杉)[ヒノキ科スギ属]

(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地  神奈川県足柄上郡山北町中川  
 撮影年月   2020年3月,6月
 投稿者   中村 靖   
 投稿者住所  横浜市都筑区中川中央
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