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 (166)赤穂義士討ち入りのその後を語る
旧細川邸のシイ

「旧細川邸のシイ」と呼ばれるシイノキ巨木が有ると知りました。細川邸と言うのは江戸時代の肥後熊本藩の細川家の邸宅と思われ、何か由緒のありそうなシイノキと思われ見に行きました。

 

 (166-1) 路傍に何気なく立つスダジイ巨木

 地下鉄の駅を出て長い坂道を上り、最後は急な階段道を登りきったところで、意外にあっさりとそのシイノキ巨木に遭えました。

 「旧細川邸のシイ」と聞いていましたので、豪壮なお屋敷の中に立っているのであろうと予想していましたが、人が行きかう公道の脇にありました。これだと「細川邸のシイ」と言うより「路傍のシイノキ」だなと感じ、これが本当に目指すシイの木か心配になりましたが、木の傍に東京都指定天然記念物の掲示板が立ち、それには「旧細川邸のシイ」と記されていましたので間違いなさそうです。

 

  (166-2) 傷みが激しいスダジイ巨木
説明掲示板によると幹周8.1m、樹高10.8m、樹齢は400~,500年はあるかと思われる立派なスダジイの巨木です。しかし、裏に回ってみると幹の損傷が激しく、主幹はほとんど枯れているように見えました。実際、かつて幹の下部に大きな空洞があったため昭和56年(1981年)に大規模な外科手術を行ったと記されていました。
 
それにしても旧細川邸というのはどこに行ったのか?シイノキ巨木のとなりに緑濃い一角があり、はたしてそこが旧細川邸なのか。確かめたくなりました。

  

 (166-3) 門前の史跡碑

 緑が茂ったエリアをグルット周り、シイノキ巨木と反対側の位置にくると、左写真の様なスマートな門扉がありました。門扉には何やら由緒ありげな碑文が掲げられ、それには以下のように書かれていました。

「赤穂義士史跡碑

正義を愛し名節を重んずる者は
暫くここに歩を停めよ
此処は徳川時代細川邸の跡 
実に赤穂義士の総帥大石良雄等十七名が
元禄十六年二月四日
壮烈な死を遂げた現場である。」

 元禄14年3月14日に起こった殿中刃傷事件とその翌年元禄15年12月14日に起こった大石良雄以下47士の吉良邸討ち入り事件の後、大石良雄ほか16名の者は細川家の預かりとなり、ここ旧細川邸で幕府の沙汰を待っていました。そして元禄16年(1703年)2月4日に切腹の断が下り、大石良雄以下17名の義士は即日切腹して果てました。切腹の場所はここ細川邸の大書院上の間の前庭でした。

 

  (166-4) 改めてスダジイ古木を観る
碑文を見た後に引き帰し、あらためてスダジイ巨木を観ました。それは始め見たときとは大きく異なる迫力で眼前に立っていました。
 
幹の周りに無数にある筋と枝はここで果てた17義士の深い絆を表し「正義を愛し名節を重んずる者は暫くここに歩を停めよ」と叫んでいるように見えました。

  

   樹木写真の属性
 樹  種 スダジイ(すだ椎)[ブナ科シイ属]
(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地 東京都港区高輪一丁目16番25号
 撮影年月  2021年10月
 投稿者  中村 靖   
 投稿者住所  横浜市都筑区中川中央
 その他