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 (167)石見の国における歌聖・柿本人麻呂を語り伝える
江津市・都野津の人麻呂の松

歴史上の偉人は永久にその名を残しますが、樹木は世代をつないで長くその偉業を語り伝えます。江津市都野津町の人麻呂の松にその好例を見ることができます。

 

 (167-1) 歌聖:柿本人麻呂の聖地

 都野津柿本神社は広場の一角に立つ意外に簡素な建物ですが、これは知る人ぞ知る、歌聖柿本人麻呂の聖地とも言うべき、大変由緒ある神社です。

 宮廷歌人として奈良の都で活躍していた柿本人麻呂は西暦700年ころ石見の国に役人として派遣されました。石見の国の女性:依羅娘子(よさみのおとめ)を妻として、ここ都野津の地に居を構え、幸せな思いで多い日々を過ごしました。

 この都野津柿本神社は依羅娘子の末裔と称する人が後に跡地に建立し、地域の人々が守り続けてきた神社です。

 

  (167-2) 在りし日の人麻呂の松
かつてこの神社の前には下写真のような松の巨木が立っており「人麻呂の松」と呼ばれていました。幹周8.1m、樹高10.8m、推定樹齢は800年、神社社殿を覆い尽くして立つその姿は実に雄大であり、人麻呂の偉業を語り伝えるに十分な松巨木でした。県内でも有数の松巨木として昭和44年(1969年)に島根県の天然記念物に指定されていました。
(下写真は江津市の「萬葉の歌碑めぐり」パンフレットより)
 
神社の近くに住む人に聞くと「子供のころには良く人麻呂の松に登って遊んだものです。大きな枝が家の上まで伸び、落ち葉の掃除で大変でしたが文句は言えません。自分たちが後から来たのですから」と言われていました。

  

 (167-3) 枯れてしまった人麻呂の松

 そのような立派な人麻呂の松、平成9(1997)年に枯死してしまいました。近所の人に聞くと「ある年、神社参道をコンクリートで塗り固めたら松が枯れはじめました。あわててコンクリートを取り除いたのですが、松はよみがえりませんでした」と悲しそうに話されました。

 人麻呂の松を慕う人々の気持ちは熱く、その切り株は保存され、神社本殿脇に保存展示用の建物が作られ、左写真のように展示されています。 切り株とはいえその大きさに圧倒され、人麻呂の偉業の大きさを偲ぶとともに、あの時代からの時の流れの長さをしみじみと感じさせられました。

 

  (167-4) 人々の期待を担う2世松
以前人麻呂の松が立っていた場所に人麻呂の松から採った種が蒔かれ、2世人麻呂の松がすくすくと育ち、2022年8月現在下写真のように幹の直径が20cmくらいの若木に育っています。
今後100年後位には立派な松大木になり、初代人麻呂の松を髣髴とさせる雄姿となることでしょう。100年後というと大変な先のことのように思われるかもしれませんが、人麻呂がこの地で過ごした時から過ぎ去った年月1300年から比較すると、ほんの一時に過ぎません。
 
上写真左側に見える石碑は柿本人麻呂の歌碑です。人麻呂が石見の国にあって詠んだ長歌・短歌あわせて13首が万葉集に収録されており、特に人麻呂が都に帰るにあたり、妻:依羅娘子との別れを悲しんで詠んだ歌はあまりに有名です。その歌碑が石見の国各地にあり、特に江津市には5ヶ所もあります。これらの歌碑を訪ねるのも素晴らしいことでしょう。

 

   樹木写真の属性
 樹  種 クロマツ(黒松)[マツ科マツ属]
(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地 島根県江津市都野津町1750
 撮影年月  2022年5,8月
 投稿者  木村 樹太郎   
 投稿者住所  島根県邑智郡川本町
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