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 (169)さながら平安時代のテーマパーク
新熊野(いまくまの)神社と大樟

京都市内に新熊野(いまくまの)神社と呼ばれる神社がありそこに樟の巨木があると知りました。熊野はかつては熊野詣でブームを呼び、現在は世界文化遺産になり注目されているあの熊野ですが、自然信仰の聖地である熊野を京都に再現したものであれば、樹木としても興味深いものが有るであろうと期待し訪ねました。

 

 (169-1) 道路に覆いかぶさる巨木

 京都駅を出て塩小路通を東に1km余り進み、東大路通にぶつかるとそれを南に4~500m進むと、やがて道路上に大きく枝を伸ばした大木が見えてきました。

 一般に公道に大きく枝を伸ばした木は邪魔ものとして切り倒されるか、良くても道路側の枝を容赦なく切り落とされてしまうものですが、あのように道路上に大きく枝を伸ばしておれるからには、かなり由緒ある樹木と思われ、もしかしてあれが今日訪ねる新熊野神社の大樟かと、にわかに期待が高まって来ました。

  

 (169-2) あたりを圧する樟の巨木

 予想通りそれは新熊野(いまくまの)神社の大樟でした。境内に入ってすぐ左手に、あたりを圧する樹勢でその大樟はそびえていました。

 平安時代の後期に熊野信仰が盛んになり熊野詣がブームになっていましたが、熊野詣の御利益があまねく京の人々に行き渡るようにと、永暦元年(1160年)後白河上皇が平清盛に命じて京都の東山山麓に新熊野神社を建立しました。

 この樟は新熊野神社建立に際し、国家鎮護と万民福祉を願って後白河上皇のお手植えによるものと伝わっていますから、樹齢は860年を超えると推定されます。

  

  (169-3) 京の熊野古道もある
本殿の姿は下左写真のようになります。創建当時の新熊野神社は社域は広壮、社殿は荘厳を極めていましたが、応仁の乱で荒廃し一時は廃絶の瀬戸際に至っていたようですが、写真に示す現存の社殿は寛文13年(1673年)に再建されたものです。
 
本殿の由緒もさることながら新熊野神社で興味深いものは本殿の裏の鎮守の森の中に作られた「京の熊野古道」です。これは熊野古道を模して造られた散策路で、上右写真のように道に沿って熊野の数々の神社模型や文物が展示されており、この散策時を廻り歩くと熊野詣でをしたような気持ちになれます。新熊野神社は熊野信仰の御利益を一身に集めた樟巨木や京の熊野古道など、信仰と娯楽を兼ねた場所であり、まさに平安時代に設けられたテーマパークです。

  

 (169-4) 新熊野神社のシンボル:大樟

 新熊野神社のシンボルは何と言っても大樟です。左写真のようにその姿は実に堂々としており、幹周6.92m、樹高23.8m、京都市でも有数の巨樹であり京都市の天然記念物に指定されており、その威容はそばに映っている人と比較すると明らかです。

 この樟は人間社会の盛衰に煩わされず、戦乱の荒廃にもめげず、800年余にわたって着々と年輪を重ねて今日の大をなしたのでしょう。

 熊野の神々がこの大樟を拠り所として降臨すると考えられ「影向(ようごう)の大樟」とよばれ新熊野神社の御神木とされています。

 

 (169-5) 人々の信仰の対象となった大樟

 新熊野神社の大樟は神社の御神木に止まらず、健康長寿・病魔退散にご利益が有るとして「大樟大権現」とも呼ばれて尊崇され大樟自体が信仰の対象となりました。

 左写真のような大樟大権現に祈る参拝所が設けられています。参拝所の脇には大樟の枝から作った「大樟さんのさすり木」と称するものが置かれており、この木に触り参拝すると事のほか大きなご利益が有るとされています。

 大樟大権現の霊力は特に腹の健康の守護、腹の病気の平癒に大きなご利益が有るとされています。しかし腹黒い病まで治せるかどうかは定かではありません。

 

   樹木写真の属性
 樹  種 クスノキ(楠or樟)[クスノキ科クスノキ属]
(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地 京都市東山区東大路通醍醐寺坂下ル
 撮影年月  2022年4月
 投稿者  木村 樹太郎   
 投稿者住所  島根県邑智郡川本町
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