(91) 日本最古の学校を語り伝える
足利学校の樹木

下野国(しもつけのくに)足利荘(現在の栃木県足利市)に足利学校と呼ばれ日本最古といわれる学校があり、今にその姿をとどめています。天分18年(1549年)、宣教師フランシスコ・ザビエルが最初に立ち寄った薩摩からインド・ゴアへ宛てた手紙の中で「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」「学徒3千人」と紹介しています。
そのような歴史ある足利学校には、そこで学ぶもの、学び方、長い歴史、を語る3本の樹木があります。

    

 (91-1) 足利学校と孔子像

 足利学校の歴史は、平安時代の公卿、漢学者、歌人として有名な小野 篁(802年~852年)による創建説、鎌倉時代の足利義兼(1154年~1199年)による創建説、室町時代の上杉憲実(1410年~1466年)による中興説など幾つかありますが、いずれにしろ500年以上の歴史がある日本最古の学校といわれています。

 現存する建物(左写真上)は方丈、書院、庫裡、孔子廟など。その多くは平成2年(1990年)に江戸時代の姿を復元したものです。現代の学校の教室・講義室にあたる方丈は茅葺になっており、往時の姿をほうふつとさせています。

 足利学校では儒教を中心とした教育が行われ、学校内には儒教の創始者:孔子を祭る孔子廟や孔子像(左写真下)などが見られます。孔子廟には孔子坐像の右隣に小野篁の座像が鎮座しています。江戸時代には小野篁説が広く信じられていたようです。 

  

  (91-2) 学ぶものを語る「楷樹」
足利学校の樹木の中で特筆すべきものは、"儒学の象徴"あるいは"学問の木"と呼ばれる「楷樹(かいじゅ)」でしょう。
中国の孔子廟の周りに多数の楷樹が植栽されており、儒教のシンボルツリーのような存在になっています。楷樹は日本には自生しない樹木であるため、大正4年(1929年)に東京林業試験場長の白澤保美氏が楷樹の種を持ち帰り育て、日本の儒教に関係する主な施設で植樹されました。足利学校では2本植えられましたが内1本は失われ、残る1本が足利学校遺跡図書館前に堂々とした大木に育っています。(下写真左)
 
楷樹は和名を"ナンバンハゼノキ"と言い、成長して樹高25m余の大木になります。葉は偶数羽状複葉で秋には美しく紅葉し、ひときわ存在感の高い樹木です。材は良質で香りが高く、中国では科挙試験の合格者に楷樹で作った笏(しゃく)を与えて名誉を讃えたといわれています。
楷樹は雄株と雌株に分かれた雌雄別株で、足利学校の楷樹は雌株ですが、雌株1本では実を結ぶことができません。東京の湯島天神の楷樹の種から育てた若い楷樹(上写真右)が近くに植えられ、すくすくと育っています。

  

 (91-3) 学び方を語る「字降松」

 足利学校敷地の真中にある南庭園のほとりに1本の松の大木が立っています。この松には足利学校ならではの興味深い言い伝えがあります。

 読めない字や意味が分からない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結び付けておくと、翌日にはふりがなや注釈が付いていたことから、「字降松(かなふりまつ)」と呼ばれるようになった、と伝えられています。

 足利学校での勉学スタイルは自学・自習が中心であったそうです。字降松は足利学校の学生たちの学び方を語り伝える貴重な樹木です。なお、現存するこの松は江戸時代の当時のものから3代目になるといいます。
  

 

 (91-4) 歴史の長さを語る、鑁阿寺のイチョウ

 足利学校敷地内にもイチョウの大木がありますが、ここではあえて学校の隣の鑁阿寺(ばんなじ)のイチョウを紹介します。

 足利学校の隣にある鑁阿寺には幹周8.3m、推定樹齢560年のイチョウの巨木が立っています。この寺は足利学校創建者とも言われる足利義兼の菩提寺であり、またイチョウ巨木は足利学校中興の祖である上杉憲実のお手植えとの説もあります。鑁阿寺のイチョウ巨木と足利学校とは深いつながりが想起され、このイチョウ巨木は足利学校と共に500年余の歳月を生きてきた貴重な樹木です。

 一粒の種から始まり、500余年の歳月を経て驚くほどの大きさに育ったイチョウ巨木の幹の太さが、500年余の足利学校の歴史の長さを如実に物語っています。

  

   樹木写真の属性
 樹  種  ナンバンハゼノキ(南蛮黄櫨) [ウルシ科ウルシ属]
 クロマツ(黒松) [マツ科マツ属]
 イチョウ(銀杏) [イチョウ科イチョウ属]

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 樹木の所在地  栃木県足利市昌平町2338  
 撮影年月   2014年11月、2016年10月
 投稿者  (1)古田 望
 (2)田森 行男   
 投稿者住所  (1)埼玉県春日部市備後東
 (2)茨城県牛久市田宮
 その他