(118) 歌川広重も見たかも知れない
池上本門寺の樹々


幕末の浮世絵師:歌川広重は「江戸近郊八景之内 池上晩鐘」と題して池上本門寺を描いています。そこには池上本門寺の当時の豊かな寺叢林が描かれたいますが、現在の池上本門寺にも多くの樹木が茂っており、それらの中には広重も見たかもしれないような古木も多数含まれていることが期待されます。

    

(118-1) 池上晩鐘と現在の姿

 左写真上は広重が天保9年(1838年)ころに描いた池上本門寺の遠景です。参道左側の巨大な石碑、その後ろに続く橋、総門、急な階段、本堂などが描かれ、参道周辺と本堂をとりまく豊かな森が印象的です。
 左写真下は広重が浮世絵を描いたと思われる場所から撮影した池上本門寺の現在の遠景です。本堂は樹木に隠れて良く見えませんが、巨大な石碑、橋、総門、急な階段など、浮世絵とぴったりです。
 参道両側の姿は様変わりしていますが、幸い総門以降から本堂周辺の境内には多くの緑が残っており、これらの中には広重も見たかもしれない樹齢数百年の古木も残っているかもしれません。

  

(118-2) 石段わきのスダジイ古木

 本堂に通じる急な階段わきにはうっそうと茂る森があり、その中のあちらこちらにスダジイ(すだ椎)の古木が目に付きます。すだ椎は丈夫な常緑樹で、防火・防風林として神社・仏閣で好んで植栽されていますが、池上本門寺でも随所で樹齢数百年と思われるスダジイが見られます。
 急な石段は96段あり、慶長年間(1596〜1615年)に加藤清正が寄進し、96と言う数字は法華経宝塔品の偈文の96文字にちなんでいると言われています。

    

  (118-3) 残っていた松大木

日蓮大聖人説法像の背後にマツ(松:黒松)の大木が立っています。「立っています」と言うより「残っています」と言う方が適切かもしれません。池上本門寺に限らず江戸時代に沢山あった松の木は松くい虫被害によりほとんどが枯れて無くなってしまったからです。
 
日蓮宗の開祖:日蓮上人は弘安5年(1282年)病に倒れ、棲み慣れた身延山に別れをつげ、病気療養のため常陸の湯に向かわれましたが、池上の地にまで来て病が重くなり入滅されました。池上の郷主:池上宗仲公は法華経の字数69384文字に合わせ約7万坪の土地を寄進し、「日蓮上人ご入滅の霊場」として池上本門寺の礎が築かれました。
日蓮大聖人説法像の背後に立つ松の大木は、日蓮大聖人を守り付き従っているかのように見えます。

  

(118-4) 五重塔と高さを競う樹々

 境内の北側から五重塔を望むと、エノキ(榎)と思われる大木とケヤキ(欅)の大木が五重塔と高さを競っていました。榎は江戸時代の一里塚に多く植えられた木で、雄大に枝を広げた姿が美しい木で、本門寺境内の墓所のあちらこちらに大木が見られます。写真右側の樹木は欅大木ですが、道路の中に立っているために強度に剪定され、その幹の太さの割には枝張りが小さく、気の毒な樹形になっています。しかし道路の中にあり普通だったら伐採されてしまうところが、伐採されずに残っているのは樹木を慈しみ大切に育てる寺院の気持ちが表れており心温まる景観です。
 池上本門寺では先の戦争時に米軍の空襲で主要な建物は焼失してしまいましたが、五重塔は焼けずに残りました。この塔は慶長12年(1607年)に豊臣秀忠の病気快癒を願って建立されたもので、関東最古の五重塔であり、国の重要文化財にも指定されています。

 

(118-5) 本町稲荷神社のクスノキ大木

 池上本門寺の南西隣にある本町稲荷神社の境内に、クスノキ(楠)の大木があります。根元が大きく肥大化し歴史が感じられ、大田区保護樹にも指定されています。
 大きさを実測してみたところ、幹周296cm、肥大した根元では533cmあり、樹齢数百年は超えていると思われ、広重が池上晩鐘を描いたときにはすでにかなりの大木になっていたと思われます。 上記の浮世絵の中では石段の下の林の左端あたりが現在の本町稲荷神社の場所になりますから、そのあたりに描かれている多数の樹木の内の一つが、この楠かも知れません。
 東京都・大田区は区のシンボルツリーである「大田区の木」としてクスノキを制定していますが、もうすぐ幹周が300cmを超え巨木の域に達するこの本町稲荷神社の楠は、大田区を代表する楠巨木となることでしょう。

   

   樹木写真の属性
 樹  種  スダジイ(すだ椎) [ブナ科シイ属]
 クロマツ(黒松) [マツ科マツ属]
 エノキ(榎) [アサ科エノキ属]
 ケヤキ(欅) [ニレ科ケヤキ属]
 クスノキ(楠) [クスノキ科クスノキ属]
(「樹木の見所」のページにリンクしています)
 樹木の所在地  東京都大田区池上1-1-1 
 撮影年月   2018年7月
 投稿者  (1)中村 靖
 (2)南川 忠利
 投稿者住所  (1))横浜市都筑区
 (2)東京都大田区
 その他